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 3章


「あの、その後は……どうですか?」
 その後っていいますと。
「えっと。あの、キョンくんの部屋に居る、居候さんの事です」
 ああなんだ、あさ……あいつの事ですか。
 ――昼休み「お弁当を忘れちゃったので、購買部で一緒にお昼ご飯を食べませんか?」とい
う朝比奈さんからのお誘いメールに、携帯電話の反応速度を超えているであろう速さで返信を
送った俺は、埃を立てる事も気遣わないまま昼食で賑わう昼休みの教室から飛び出していった。
 そして数分後、ようやく辿り着いた購買部横の休憩スペースで待っていた天使様との昼食の
最中、小さなサンドイッチをはむはむと食べながら朝比奈さんは冒頭の内容を俺に聞いてきた
訳だ。
「遅くなりましたけど、あの時は本当にありがとうございました。あいつも朝比奈さんのおか
げで助かったって言ってましたよ」
「そっかぁ……良かった。もしかして、余計な事をしちゃったのかなって思って」
 いえいえいえいえいえ、そんな。
 あいつの事を別にしても、一緒に買い物に行けただけで俺の感謝の気持ちは溢れ出そうです!
「それで、その……」
 どうかしましたか?
「い、居候さんは……いつ頃まで、キョンくんのお部屋に居るんでしょう」
 さぁ……どうなんでしょうねぇ。
 朝倉の上司って奴からは未だに何も連絡が無いみたいだし、いつ頃って言われると答えにく
いんですが。
 この奇妙な共同生活も、ようやく生活パターンが出来て慣れてきた所だが……確かに、後ど
れくらい続く事になるんだろうな。
「キョンくんは、大変じゃないですか?」
「俺、ですか」
「はい。一人で生活していたお部屋に、誰かがずっと居たりしたら大変かなって」
 朝比奈さんのそのお気使いだけで、俺は後十年は耐えられますよ。
 ……っていうのはまあ概ね事実なんですが、とりあえず今は冗談として。
「まあ俺は大丈夫ですよ、平日は学校もありますから……でも、ずっと外に出られないあいつ
はそろそろしんどいのかもしれませんね」
 いくら宇宙人だからって、朝倉や長門は特別な力があるだけで基本的には普通の人間なんだ
ろうし。
 唯一の気晴らしだった夜間の外出も、長門とコンビニで遭遇して以来出かけてないからな。
 どうにかして朝倉を外に連れ出してやれる方法が無いかと考えている内に、スピーカーから
流れ出した呼鈴の音が、無情にも朝比奈さんとの楽しい時間の終わりを告げた。
 名残惜しいが……仕方ない、俺が授業に遅れる分には全然全く構わないが、朝比奈さんをそ
んな目にあわせる訳にはいかないもんな。
「じゃあ俺先に行きます、また放課後に部室で」
 寂しさを作り笑顔で何とか隠しつつ、俺は先にテーブルを立った。が、その直後――
「あ、あの! キョンくん」
 慌てたような朝比奈さんの声に、俺は呼び止められてしまった。
「はい?」
 俺、何か忘れ物でもしましたか。
 振り向いた先でまだテーブルに座っていた朝比奈さんは、何故か恥ずかしそうに視線を彷徨
わせつつ
「……ま、またこうやってお昼ご飯に誘ってもいいですか? その、キョンくんが……迷惑じ
ゃなかったら……なんですけど」


 その日、いつもの様にSOS団の活動を終え、ようやく自宅へと戻った俺を見て朝倉の放っ
た第一声は、
「……今日は、何だか凄く楽しそうだね」
 これだった。
「そうか?」
 自分では、割と平常心を保てているつもりなんだが。
 日常業務の様にCDの電源を入れる間も、からかい好きな宇宙人の視線は俺を捕らえたまま
でいる。
「何かいい事でもあったの?」
 いい事ねぇ。
「無かったと言えば嘘になるし、無かったなんて言うつもりもない。……でもまあ、お前に言
う事でもない」
「え〜、そこまで言っておいてそれは無いんじゃない?」
 お、おい! シャツならともかくズボンを引っ張るなっ! ……ったく。
「今日の昼は朝比奈さんと一緒だったんだが、また一緒にご飯を食べようって言ってくれたん
だよ」
 予想通り、俺の言葉を聞き終えた朝倉の顔には疑問符が浮いていた。
「……それって、楽しい事なの?」
 当たり前だ。
 あの朝比奈さんに誘われてお昼をご一緒できるなんてのは、俺の高校生活において楽しかっ
た思い出ベストテン上位に早々とランクインされる様なイベントで間違いない。
 いつになくはっきりと断言する俺を見ても、やはり朝倉には事の重大性がよくわからないよ
うだった。
「ん〜……ご飯を一緒に食べるって事が重要なのかな」
「正解とは言えないな。この場合は、朝比奈さんから誘われたって所がポイントだ」
 自分からではなく相手から誘われたという事実。テストに出るぞ、ここ。
「えっそこなんだ。じゃあこの場合、別に誘われるのはお昼ご飯じゃなくてもいいって事?」
「いや、それはそれで大事だ」
「ん〜難しいのね……」
 どうやら、朝倉には男子高校生の趣向という物は中々理解できない物らしい。
 考えてみれば、朝倉はいつもクラスの女子とお昼を食べていたし、誰か特定の男子と仲良く
していた所を俺は見た事が無い。
 でもまあ、谷口みたいにお前に好意を持っている奴は大勢居るとは思うんだが、
「朝倉、お前って誰かと付き合ってた事はないのか?」
「付き合う?」
 ……そこからか、そこから説明しないと駄目か。
「特定の異性と交友を深め、休日に映画を見に行ったりとか」
「あ、ごめん。付き合うって事の意味は知ってるの。でもあたしはほら、涼宮さんの監視に来
てるインターフェースじゃない」
 それは一応知ってるつもりだが。
 インターフェースってのは、恋愛禁止とか規則があるのか?
「そんなのは無いよ。でも、あたしには人間の恋愛感情も概念でしか解らないから、仮に誰か
と付き合ったとしても、自分がどうすればいいのか解らないと思うな。友達から恋愛話は色々
聞いてきたけど、それがどうして楽しいと感じるのか解らなかったし」
 楽しいと思わないから、付き合ってみる事もない……か。
 そういえば、お前は宇宙人だったもんな。
「何それ、当たり前じゃない」
 いや、こうして一緒に生活してると……時々本気でその事を忘れる事があってな。
 そうさ、長門だって初めて会った時はともかくとして、最近は極々僅かな所では人間らしい
仕草を見せるようになったんだ。
 もしかしたら、長門だっていつかは朝倉みたいに普通に笑える日が来るのかもしれない、そ
して朝倉もまた、人間の恋愛感情が理解できる時が来るのかもしれない。
 ――それは、きっとただの思い付きだったんだんだと思う。今考えるとそうとしか思えない。
「だったら試してみるか」
「試すって……何を?」
「だから、お前は恋愛って物を楽しいと思わないから誰とも付き合った事がないんだろ」
 その割には人をからかう手段を豊富に知ってる気がするが……まあいいか。
「それもあるけど、問題はそこじゃないよ。さっきも言ったけど、あたしは涼宮さんの監視を
する為に創られた対有機生命体用コンタクトインターフェース。だから、監視を続ける事が最
優先事項なの」
 ま、確かに以前はそうだったんだろうけどな。
「でも、今は誰も監視しなくてもいい」
 っていうか、最近のおまえはのんびり漫画読んでるだけだろ?
「あ」
 そうさ、何の目的も無く毎日部屋に篭もっているよりは、何か目的意識があった方が精神的
に見てもよほど健全だ。
「こんな事を言ってる俺も、実はお前と同じで恋愛経験は無い。お互いに勉強するって意味で
も悪くない提案だと思うんだがな」
 着替えを終え、楽な服装に着替えて椅子に座った俺を、朝倉は口を開けたまま見つめている。
 ……そんなに変な事を言ったか? 俺。
「もしかして、これって告白されてるの?」
 それ以外の何なんだよ。
 謎の部活への勧誘だとでも思ったのか?
「だって。そんな落ち着いた顔で平然と言うんだもの……冗談とかじゃ、ないの?」
 お前も疑り深い奴だな。
「俺とお前が付き合ったからって何か困る事があるのか? いやまあ、俺は人間でお前は宇宙
人なんだから、本来の意味での恋人同士ってのが無理なのは解るが」
 長門もそうだが、この先俺がハルヒと違う大学にでも進学すれば、お前ともそれまでの縁に
なるんだろうし。
「本来の意味じゃない恋人関係?」
 そりゃあそうだ。
「何度も言うが俺は人間でお前は宇宙人、それ以前にお互いに恋愛感情があるわけじゃないん
だし、とりあえず付き合ってみるって奴さ」
 所謂、付き合う前のお友達からって奴の進行形だな。
「俺から見たお前はもう少し羞恥心って物を持った方がいいと思うし、お前だって俺に不満の
一つや二つはあるだろ」
 まあ完璧な人間なんてのは居ないんだろうが、直せる所は直した方がいいと思うぞ。
 俺が本気で言っている事が解ったのか、朝倉の顔から疑問が消え……なんだろう、何か複雑
感情を含んだ視線が俺へと向けられている。
「形だけでも関係が変われば、お互いに見えて無かった部分が見える様になったり、言えない
でいた事も言え様になるんじゃないかって思ってな。それと……これは前にお前が言ってた事
だが、変化の無い毎日に飽き飽きしてるのなら、とにかく変えてみるのもいいのかもしれん」
 どっちかって言えば、こっちが本音かもな。
 俺の提案に、何故か朝倉は挙動不審に口をぱくぱくとさせていて、
「……でもまあ、お前が興味無いならそれまでの話しさ」
 第一、擬似的に恋愛するにしたって相手が俺じゃ張り合いが無いだろうしな。
 乗り気じゃないなら気にせず断ってくれていい、そう続けてようと思っていると、
「あ、あたしでよければお願いします!」
 思わず身を固くする程の大声で、朝倉はそう答えたのだった。
 ……えっと。そ、そうか。
 正直、お前がそんな反応をするとは思ってなかったんだが。
「……」
 大声を出したせいなのか、赤い顔をしたままでいる朝倉の前に、
「じゃあ、よろしく」
 戸惑いつつも差し出した俺の手を、朝倉は少し躊躇した後にゆっくりと握りしめた。


 朝倉と付き合い始めたその日の夜、なんとなく早めに夕食を終えた俺が部屋に戻ると
「お、お帰りなさい」
 ベットの上の朝倉は、何か緊張した様子だった。
 俺の視線の先を意識してるのか布団で体を首まで隠してるし、急に髪の毛を直し始めたりと
落ち着きが無く、普段は漫画やお菓子の袋だらけのベットの上も綺麗なままだ。
「……朝倉、お前体調が悪いのか」
「えっ何で?」
 だってほら、
「肩まで布団をかぶってるし、珍しく今日は早めに寝るみたいだからさ」
 そう言って朝倉の羽織る布団を指差してやると、
「全然大丈夫! うん。あたしの体調とかは気にしないでいいから」
 慌てて朝倉は布団から片手を出して横に振り、強く否定するのだった。
 ……そうか。
 ま、いくら保護観察中だからって宇宙人が風邪を引くはずないよな。
 俺はいつもと違う様子の朝倉の事が気になりつつも、ここ暫く続いている習慣に従って机へ
と向かった。
 別に勉強が好きになった訳ではないんだが、そうしないといけない様な気がしてな。
 普段通りに鞄から出した教科書を適当に広げていると、
「あの……今日も勉強するの?」
 意外そうな声で、朝倉は俺にそう言うのだった。
「え? ああ、まあ一応」
 俺の性格上、一度休むとそれっきりになる可能性が大きいし。
 それに、勉強を教えてくれる時の朝倉が楽しそうだってのも理由の一つだったんだが……、
どうやら今日の朝倉は勉強に乗り気ではないらしい。
「朝倉」
「はっはい!」
 ……さっきから何をそんなに緊張してるんだ。
「俺の事は気にしないでお前は寝てても遊んでてもいいぞ。本当なら、これは自分一人でやら
なきゃいけない事なんだ」
 机に向かって、教科書を開いて今日の授業のページを探していた俺の耳に、
「じゃ、じゃあ。準備してベットの中で待ってるから。あんまり遅くならないでね?」
 不思議な事に、期待する様な朝倉声が届いた。
 ……ん、待ってる?
 その言葉の意味が何となく気になり、
「お前、もしかして今日はコンビニに行くつもり……」
 ベットの方を振り向いた俺が見たのは
「あ」
 俺の視線に気づき、布団の隙間から見えている自分の体を――何も服を着ていない裸の姿を
――慌てて両手で隠す、朝倉の姿だった。
 っておい!
「きっ、着替えるなら着替えるって先に言えっ!?」
 っていうか俺が部屋に居る時は着替えるな! それか何とかフィールドを俺にも見えない様
にちゃんと張れ!
 目に焼きついたベットの上で体を起こしていた朝倉の裸体を振り払いつつ、俺は慌てて目を
逸らした。
 脱衣所や浴室で、これまでにも何度かそんな機会はあったんだが……ここまではっきりと見
てしまったのは初めてだ。 
 思っていたよりも豊かだった朝倉の胸元や女性的な体のラインは、思い浮かべるだけで余計
な雑念を溢れさせ、俺の勉強に対する意欲を減退させる。
 というか、完全に勉強どころではなくなってしまっていた。
 お互いに黙っているはずなのに、自分の心音がうるさくて仕方がない。
 ノートを見ればそこに朝倉の裸体が浮かんで見える気がするし、目を閉じてもそれは同じ。
 自分の体の変調を悟られまいと、何となく朝倉に背を向けるように椅子の位置をずらしてい
ると
「ご、ごめんね? こういう時は、先に脱いでおいた方が嬉しいんだって思ってて」
 意味不明な返答が返ってきた。
 いくら真剣に読んでもまるで頭に入って来ないが、それでも一応教科書に目を向けながら聞
いてみる。
「こういう時ってのは何の事だ」
 まさか、風邪には裸で寝るのが効果的なんて民間療法を信じてるんじゃないだろうな?
「それは……その、今日は初めての夜だから」
 ノートの上でシャープペンシルが嫌な角度に曲がり、俺の手は完全に静止した。
 どうやら、この宇宙人は偏った知識だけは一人前らしい。
 ――「ともかくシャツを着ろ」そう指示してから10分後、背後から聞こえていた着替えの
音が聞こえなくなってから、俺は後ろを振り向いた。
 そこには恥ずかしそうに顔を伏せる朝倉が居て、多分それ以上に真っ赤な顔の俺が居るんだ
ろうな。
 ……えっと。
「あのなぁ、朝倉」
「……はい」
 そんな、消えそうな声で答えなくてもいいぞ?
 多少とはいえ、お前にまた羞恥心が芽生えてくれたのはいい兆候なんだ。
「お前にそんな知識を誰がいつ教えたのかは知らないが、付き合い出した初日の夜に、いきな
りそんな関係になる奴なんて殆ど居ないんだよ」
「……そ、そう……なんだ」
 ああ。
 世間の認識はともかく、俺の知識の中ではな。
「仮にその日のうちにそうなる奴等が居たとしても、それはあくまでお互いの合意の上でだ。
……っていうか、お前の恋愛に対する知識は誰から仕入れた物なんだよ」
 まさかハルヒ……無いな、そもそも朝倉とハルヒが仲良くしている所は見た事がない。
「クラスメイトから聞いたの。……男の子は単純だから、裸を見せてあげたり体を触らせてあ
げれば喜ぶよって」
 間違いじゃない。それは間違いじゃないが何かが根本的に間違ってる。
 ったく、どうりで部屋に転がり込んでからというもの、俺と一緒に風呂に入りたいだの、別
に見てもいいだのと言ってた訳か。
 男性心理をきちんと理解しているそのクラスメイトが誰なのか気になりつつも、とりあえず
俺は目の前で返答を待つ朝倉の認識を変える所から取りかかる事にした。
「いいか朝倉、確かにそいつが言ってる事は間違いとはいえないさ」
 実例として見ても、さっき朝倉の裸を見てしまった時に俺が全く嬉しくなかったのか? と
聞かれれば返答に困る。
「でもそれは、お前が本当に好きだと思う相手だけに、段階を踏んだ上ですればいい事だ」
 どう考えたって、それは今俺にするべき事じゃないって事だけは言いきれる。
「段階って、どんな事?」
 まあ、例えば。……えっと。
 ――偉そうにそこまで言ったはいいが、それってどんな事なんだ?
 そもそも恋愛経験が無い俺の知識なんて、友達から聞いた事が全ての朝倉とそれ程変わらな
い訳だ。日頃から谷口に聞かされている自称恋愛マスターの講義内容をここで伝えるのは無謀
な事だろうし。
 いくらなんでも、交換日記からってのは時代にそぐわないって事はくらいは解るが。
「……」
 とはいえ、ここは俺が何か言わなきゃいけない空気だ。
「えっと、例えばだ。相手がしてくれて喜ぶ事じゃなくて、お前がして欲しいとか、してみた
い事って無いか?」
「あたしが、したい事」
 そうさ。
「聖書じゃないが「求めなさい、されば与えられん」って奴だ。相手のして欲しい事じゃなく、
自分の欲求を伝える事も大事だぜって……まあ、多分そんな感じの意味だろ。思いやる事も大
事だが、まずは自分も相手に何かを求めてるんだって事を示せって事じゃないか?」
 適当過ぎる俺の意訳を聞いた朝倉は、小首を傾げて何かを考え始めた。
 こんな時、自分の言葉で話してやれないってのは何とも情けないんだが……まあ恋愛未経験
者にはこれが限界って事で許して欲しい。
 俺が自分の不甲斐無際に溜息をつく間も、朝倉は自分がして欲しい事が思いつかないのか、
真面目な顔でじっと何かを考え続けている。
 宇宙人の願い事、か。
 まさかまた、ハルヒから情報何とかを引き出す為にどうにかしたいとか言いだしたりは……
しない気がするな。
 特に根拠は無かったが、俺には何故かそう思えた。
 それから数分程考え込んだ後、
「えっと……キョンくんにして欲しい事、思いつきました」
 やっと長考を終えた朝倉が、口を開いた。
「ま、気軽に言ってみろよ。出来そうな事ならまあ努力するが、出来そうにない事はちゃんと
無理だって言うから」
 さて、どんな事を頼まれるんだろうな?
 多少の不安と、それ以上の好奇心で返答を待っていると、
「あのね? ……その、さっき聞いた朝比奈さんの話も関係してるんだけど……。あ、あたし
もね? キョンくんと、一緒にご飯を食べてみたいの」
 しきりに照れながら朝倉は、俺にそう言ったのだった。
 …………。
「ああ」とか「いいぞ」とか、軽く答えてやれる簡単な頼み事のはずなのに、まるで言葉を忘
れてしまったみたいに返事が出てこない。
 その時の俺は、ただ朝倉を見つめる事しか出来なくて、
「……あたし、変な事言ったのかな?」
 そんな俺を見た朝倉は、不安そうな顔でそう聞いてくるのだった。
「あ、いや。そんな事はないぞ? 全然。全然普通で、その……」
 変なのはきっと、俺の方だ。
 不思議そうな顔で俺を見る朝倉に、さっきとは違う感覚で心臓が早鐘を突き出した理由も解
らないまま……俺は不器用に頷いていた。
 

「長門、前に会った時も思ったんだが……。お前の住んでるマンションからあのコンビニまで
の間には他にもコンビニがあるのに、どうしてあの店に通ってるんだ?」
 朝倉と付き合う事になった日の深夜、朝食を買う為に例のコンビニへと向かった俺は、何故
かそこに居た長門と一緒に夜道を歩いていた。
「……」
 目的地は俺の家ではなく、長門のマンション。つまりはまた長門の帰りに付き合ってる事に
なる。
 長門に聞いてはいるものの、正直に言えば俺はこの時間にコンビニに行けば長門が居るんだ
ろうなと思っていた。そこで一緒に帰るかと誘えば、長門は頷くだろうって事も。
 でも何故、こんな時間に、こんな遠くまで?
 今日コンビニで見かけた長門は、買い物中でも立ち読み中でもなく店外の壁に設置された殺
虫灯の下でもがく気の早い蝉をじっと見つめていた。
 まあ、まだ七月前だから蝉が珍しいってのは解らなくもないが……こんな深夜に眺めてて楽
しい物なんだろうか。
「雑誌」
 ん?
「前に、あなたが読んでいた」
 ようやく口を開いてくれたのは嬉しいが、やはりこいつの言う事は俺の頭では簡単には理解
できない。
「あの雑誌がどうかしたのか?」
「探していた」
 長門が言う俺が読んでいた雑誌とは、別に宇宙人が目を引く様な特集が組まれている事もな
いただの週刊誌だったと思う。
 っていうか、
「あれはもう次の号が出てるから、コンビニとかには置いてないと思うぞ」
 普通、コンビニには最新の雑誌しか置いてないはずだ。
「……」
「どうしても読みたいのなら、漫画喫茶か図書館に行けばまだあるかもしれないが」
 ――そうだ、ちょうどいい機会じゃないか。
 そこまで言った所で、俺は「また図書館に」という長門の頼みを思い出していた。
 長門はその古い雑誌を読みたいと思っている様だし、俺は俺で長門の頼みを聞いてやりたい
と思っている。
 だったらここで長門を図書館に誘えばいい。……いい、はずなのに。
「……」
 俺の顔を見上げて言葉の続きを待つ長門に、俺は何故かその続きを言えなかった。
 理由は解らない。ただ、何となくそれを言う事は出来なくて。
「残念だったな、でも今週の話も面白かったぜ?」
 結局、代わりに俺の口から出てきたのはそんな当たり障りのない言葉で、長門はそんな俺に
小さく頷いた後、視線を前に戻した。


 結局、その日も俺が家に帰ったのは日付を超えた頃の事だった。
 こんな時間だってのに少しの眠気も来ない、いつの間にか夜型になってるなぁ……。
 慣れた動作で音をたてないように玄関を閉め、そっと自分の部屋に戻ると
「お、約束は守れたみたいだな」
 ベットの中では、すでに朝倉が小さな寝息を立てて眠っていた。
 お前が起きて待ってると気になって買い物に集中できんから先に寝てろ、そう言ってから出
かけて正解だったらしい。
 静かにレジ袋を机の上に置いた後、俺も自分の布団の中に潜り込んだ。
 夜の散歩で冴えていた意識は暖かな布団の前に緩慢に緩んでいき、いつしか自然と浅い眠り
の中へと落ちて――その夜、俺は夢を見た気がした。
 そこは殺風景で家具のない、つまりは一目で解る長門の部屋の中で、そこに居た朝倉と長門
が親しげに何かを話している。その話の内容は聞く事は出来なかったし、話しているといって
も朝倉が一方的に長門に話しかけているだけみたいだったが……俺には、二人がとても楽しそ
うに見えたんだ。


 翌朝、俺が目を覚ました時
「おはよう」
 耳元のごく近い場所から聞こえる甘い声と、すぐ目の前にある誰かの顔の感覚。
 意識が戻った俺は目を開けないまま自分の頭の下にあった枕を掴み、顔の気配がする辺りに
適当に振り回してやっ「きゃっ?! いった〜」
 お、今のはいい手ごたえだったな。
 悲鳴が聞こえて顔の気配が遠ざかってから、俺はゆっくりと目を開けた。
 ん……くっ……はぁ、いい朝だ。
 目に入るのはカーテン越しの日光と、薄明るい室内、それとどうやら顔に枕の直撃を受けた
らしく、鼻の辺りをさすっている朝倉の不満そうな顔。
「よう、おはよう」
 俺は寝起きの顔を隠そうともせず、同居人に朝の挨拶を済ませた。
「もうっ! いきなり枕は酷いんじゃない?」
 何を言うかと思えば、
「布団に入ってきたら廊下に叩きだすって最初に言っておいただろ? 目の前まで顔を近づけ
たってのに枕で済んだんだ、むしろ有り難く思え」
「えっ? あれってまだ有効なの?」
 数日振りに元気そうな朝倉を見れたのはいいとして、だ。まだって何だ、まだって。お前が
出ていくまでの間は有効に決まってるだろ。
「だって、あたし達って今は……付き合ってるんでしょ?」
 ……まあ、そうだな。
 寝起きの頭では、上手く言い返す言葉が出て来ない。
「それなら、これくらいはいいのかなって……」
 照れ笑いを浮かべつつ、布団の上に起き上がったままの俺に向かって再び朝倉がゆっくりと
接近してくる。その視線の先には俺の顔があり、どうやらその狙いは鼻の下辺りの様だ。
 距離が近づくにつれ、朝倉の体から柔らかな香りが漂ってくる頃
「いい……かな?」
 視覚、嗅覚と続いて聴覚。次第に俺の五感は朝倉で埋め尽くされていって……俺の顔の手前
で、朝倉の動きは止まった。
 未だにぼんやりとふらついている俺を前に、朝倉はじっと何かを待っている。
 ……こいつ、昨日俺が言った事をもう忘れてるのか。
「朝倉、目を閉じろ」
 多少左右に体を揺らしながらそう俺が言うと、朝倉は素直に両目を閉じた。
 その目がきちんと閉じられているのを目視で確認した後、俺は両手で枕を掴み、朝倉の頭部
めがけて真っ直ぐに振り下ろした。


「これから暫くの間、朝は部屋で食べる」
 着替えと洗顔を終え、そう宣言して朝食片手にリビングから部屋へと戻った俺を待っていた
のは
「暴力反対」
 ふくれっ面の朝倉だった。
 暴力? 何を馬鹿な、あれは教育だ。愛のある教育は、時に暴力に見えてしまう事もあるん
だよ。
 トースト片手にそう反論してみたが、それは朝倉には受け入れられない内容の様だ。
「だってぇ……付き合おうって言ってくれたのはキョンくんからなのに、これじゃあ何も変わ
らないじゃない」
 昨日俺が買ってきた食料をちまちまと食べながら、朝倉はそんな不満を投げかけてくる。
 おいおいまだ寝ぼけてるのか? 目を開いてよーく見てみろ。
「お前の要求通り、現在進行形で一緒に朝食を食べてる所だと思うんだが」
 我ながら、これはかなりのバカップルだと思うぞ。
「そうじゃなくて、手を繋いだりとか」
 はい、それも昨日の夜にやった。
 糖分が回ってようやく動き始めた頭で適当に言い返しつつ、俺がコーンスープにトーストの
端を浸していると、
「じゃあ、キスは?」
 ごくごく当たり前な口調で、朝倉はそんな事を言い出すのだった。スープを口にふくむ前で
よかったぜ。
 あのなぁ……。
「お前、昨日の俺の話ちゃんと聞いてたのか」
「もちろん聞いてたよ」
 ふくれるな、可愛いだろうが。
 お前は聞いてただけで解ってないんだよ。
「いいか。俺は、お前が本当に好きだと思う相手にだけ、そういう事はすればいいって言った
んだ」
 その相手は試しに付き合ってる俺じゃないだろ?
「本当に好きな人にならしてもいいのね」
 いや待て、早合点するな。
「一つ目の条件はお前が今言った通りでいい。だが、それとは別にもう一つ条件がある」
 どっちかって言えばこのもう一つが重要だ。もしこれを無視していいなら、谷口辺りにとっ
てこの世は天国だろう。
「もう一つの条件って何?」
「その相手もまた、お前の事が好きだって事さ。お前だって、好きでも無い相手にキスなんて
されたくないだろ?」
 恋愛経験なんて無い俺でも、これくらいの事は解るつもりだ。
 ごくごく当たり前の事を言ったつもりだったが、何故か朝倉は不満らしく唇を尖らせている。
 何だ、言いたい事があるなら言った方がいいぞ。
「……それって、もしキスを拒まれた場合は……その相手に嫌われてるって事なの?」
 さあ、どうだろうな。
 殆どの場合はそうなのかもしれんが、例外もある。
「例外?」
 ああ。
 もしかしたら、どちらかと言えば宇宙人なお前には当てはまらない事なのかもしれんが、
「朝倉、人間は自分の寝起きの口臭を結構気にする物なんだよ」
 寝る前にしっかり歯磨きをしてたって、こればっかりはなぁ……。
 最後に残ったカフェオレを飲み干した俺の向かいで、朝倉は自分の口元を手で押さえて赤い
顔をしていた。
 ……朝倉。今のって、お前の事じゃなくて俺の側の話だからな?


 向こうから誘われたという事実があっても、やはりこちらから声をかけるのには勇気が要り、
躊躇っている間についつい後手に回ってしまうこの性格が、俺の欠点なのだろうか。
 休み時間だけでなく、授業中も教師の目を盗んでは何度も何度も携帯のディスプレイを確認
する俺の姿は、どうみても滑稽だったんだろう。
「……キョン。あんたさっきから何で携帯を気にしてるのよ」
 休み時間を待ってハルヒがそう聞いてきた時、俺は注意すべき相手が教師だけではなく背後
にもいた事を思い出した。
 っていうか、休み時間までハルヒが俺を問い詰めるのを待てた事をこの場合は重要視するべ
きではなかろうか。
 やはり、人はどんな変人であっても成長できるのだと。全ての人類に英知を授ける事は出来
なくても、そこに絶望してはいけな
「そんな意味不明な事を言って誤魔化そうったってそうはいかないわよ。あんた、いったい誰
からの連絡を待ってるのか言いなさい」
 いや、今のは結構俺の本音だったんだが……まあいいか。
「朝比奈さんだよ」
 あっさりと告げる俺に、ハルヒは目を丸くしたまま固まっている。
「……み、みくるちゃんから?」
 ああ。
 俺は他に朝比奈って名字の生徒を知らなってぇ! おい、ちょっと、と、ま!? レ!
 突然伸びてきた手が俺のネクタイを掴み、下手をすれば俺以上ではなかろうかという腕力で
俺はハルヒの元に引き寄せられていた。
 ぐっ……ひ、引っ張り方によっては命に関わる所だったぞ。
 っていうか日に日に殺人じみていくなぁお前の腕力は、いったいどんな鍛え方をしてるんだ?
 突然吸入が止まった酸素を体内に供給する為、荒い息をつく俺の目の前では、
「返答次第ではそうなると思いなさい」
 SOS団結成前より、遙かに険しい顔をしたハルヒが俺を睨んでいた。
 いきなりなんなんだお前は?
「……へ……返答……って、何がだ」
 ちなみにこれは返事に困っているんじゃない、呼吸する方に困ってるんだ。
 朝比奈さんの連絡を待ってるだけで、何か罪になるのか? なるかもしれんが。
「あんた……ま」
 ま?
 そこまで言った所でまるで時間が止まったみたいに動きを止めたハルヒは、俺の携帯が振動
を開始すると同時に動きを再開した。
 ――俺の直感が告げる、野良犬に噛まれたと思って下手に抵抗しない方がいい。
 そんな達観じみた思いを抱くよりも早く、ハルヒの手の中に俺の携帯は奪い去られたのだが
……携帯を奪い去ったまま、何故かハルヒは何もしないで俺を見ていた。
 お前が意味不明なのはまあ何時もの事だが、これはどんな意思表示なんだ?
 奪った俺の携帯を掲げたまま静止していたハルヒは、やがてクラス中の視線が集まってきた
頃になって
「返す」
 ようやく俺に携帯を返却してきた。
 差し出された携帯は現在進行形でLEDを点滅させてメールの受信を知らせているが、旧式
の俺の携帯の仕様上、相手の名前までは表示されていない。
 ハルヒのこの行動にどんな意味があるのかは解らないが……ま、多分意味なんて無いんだろ
うな。俺はあえて深くは考えず、携帯を操作して届いたばかりのメールの内容を確認した。
 差出人は期待通り朝比奈さんだった、本文も俺が待ちかねていた昼食のお誘いだ。
 わざわざ『ご迷惑じゃなかったら』なんてつける所が、いかにも朝比奈さんらしくて微笑ま
しいね。
 あなたからのお誘いを、迷惑だと思う様な不届き物がこの世に居るとでも思ってるんですか?
「……」
 俺が嬉々としてメールを確認している間も、ハルヒは何故か暗い表情で俺を見ていた。
 言いたい事があるなら言え、そう言ってやってもよかったんだが……。
「なあハルヒ」
「……何よ。別に、あんたがどこの誰と付き合っていようがあたしには」
 何を訳のわからん話をしてるんだお前は。
 俺は朝比奈さん宛てに手早く作った返信メールを、ハルヒの顔の前に突きつけてやった。
 本文 ハルヒの馬鹿も寂しそうなんで一緒でもいいですか?
「え? あ、え?」
「送ってもいいのか駄目なのか、どっちなんだ?」
 俺と携帯の間で視線を彷徨わせていたハルヒは、壊れたおもちゃみたいにカクカクと頷いて
見せた。
 お、こいつ馬鹿って書いてある所を見落としたな?


「ねえ、邪魔だったらあたしは……」
「もしかして、見せつけるつもりなの?」
「まさか、二股とか考えてるんじゃ」
 昼休み――意味不明な上に人聞きの悪い事を言いながらも俺の後ろをついてきたハルヒは、
先に学食で俺達を待っていてくれた朝比奈さんを見るや否や
「ちょ、ちょっとでいいから! キョンは遅れてきなさい! いい! 絶対だからね! つい
てきたら殺すわよ!」
 人が多い場所で物騒な事を大声で言うな。後、ついてきたのはお前だ。
 学食の入口で反論する俺を残し、朝比奈さんの待つ奥のテーブルへと猛ダッシュで走って行
った。
 おい食堂では走るな……って、この距離じゃ聞こえる訳ないか。まあハルヒに言われるまで
もなく、俺は今日は弁当無しだからここで昼飯を買う必要があるんだけどな。
 話せば解るって言葉があるが、会話になる事が前提だよな、これ。
 音が出ない様に小さく溜息をつき、俺は券売機の列に並んだ。
 ――のんびりと行列の中を進んでいると、遠くのテーブル席で朝比奈さんと話すハルヒの姿
が見えてきた。
 どうやらハルヒが朝比奈さんをを問い詰めていて、朝比奈さんはそれに対してひたすら首を
横に振っている様に見える。
 ……いったいハルヒはどんな事を朝比奈さんに聞いてるんだ? どうせろくでもない事って
所だけは解るんだが。


 レトルト定食、ではなくハンバーグ定食を手に俺が朝比奈さんの元に辿り着いた時、
「あれ、ハルヒの奴はもう帰ったんですか?」
 そこに、ハルヒの姿は無かった。
「はい」
 確かあいつは弁当持参だったはずだが、まさかもう食べ終えたってのか?
 もしかして昼御飯が足りなかったのではと思い、食券の列の中にハルヒの姿を探していると、
「あの。涼宮さんは急な用事が出来たって言ってました」
 詳しい事までは聞いていないらしく、朝比奈さんは不思議そうな顔でそう教えてくれた。
 急な用事ねぇ……あ、そうだ。先に謝っておかないとな。
「すみません朝比奈さん、せっかくのお誘いにあんな騒がしい奴も同席させてしまって」
 ある意味この昼休みの至上命題を果たす俺を前に、朝比奈さんは慌てて手を振って
「いえ! いいんです! ……キョンくんは、その、気を使ってくれたんでしょう?」
 どうやら天使様には、俺の意図などお見通しらしい。
 結論だけで言えば「そうする事が朝比奈さんの為になるから」である。
 過程も含めて説明するのなら、何だか知らないがハルヒが不機嫌になる事は古泉や朝比奈さ
んにとって困る事になるらしいのだ。
 別に古泉が困る分には正直どうでもいいが、この愛らしい部室の天使様の為なら多少の苦難
なんて気にもならない。
「――それで、俺が朝比奈さんのメールを期待して携帯を見てたら、それをハルヒに見つかっ
たって訳なんです」
 さっきまで真空パックに詰められて湯の中を泳いでいたハンバーグを胃に収めた後、俺はこ
こにハルヒを呼ぶ事になってしまった事の経緯を簡単に説明した……のだが、
「そうだったんですか」
 ゆっくりと頷く朝比奈さんは、何故か含みのある笑みを浮かべて俺を見ているのだった。
 その視線にあるのは……これは、疑問? これ以上特に説明する事も思いつかなかった俺は、
その視線の意味を聞いていた。
「あの、どうかしたんですか」
 思わず口の周りにソースがついてないか確認していると、
「……あのね? 涼宮さん、ここ最近は特にキョンくんの事を気にしてるみたいなんです」
 ハルヒが、俺を?
「はい」
 ふむ。
 あいつに目をつけられる様な事と言えば……今日のメールくらいしか思い当たらない。
 でも朝比奈さんは「ここ最近」って言ったよな。
 あいつが興味を引きそうな事で最近となると……ん〜やはり特に何もしてないと思うんだが。
「実は、わたしもその事で少しだけ心当たりがあったんですけど……どうやら違ってたみたい
です」
 心当たりですか?
「はい」
 それって、どんな事なのかヒントだけでも教えて貰う訳には……。
「ふふっ。それは……秘密です」
 寂しげに首を横に振る朝比奈さんは「禁則事項」ではなく「秘密」という言葉で回答を拒否
してしまった。
 ――結局、それから朝比奈さんは「秘密」の事を話題にしようとせず、何となく俺も追及す
る気になれなくて簡単な雑談だけで時間は過ぎて行った。
 もちろんそれは俺にとって至福な時間であった事に間違いは無いのだが、
「……いいなぁ」
 時折、朝比奈さんは寂しそうな目で俺を見る事があって、俺はそれが妙に気になっていた。


 昼休みが終わって俺が教室に戻った時、そこにはすでにハルヒの姿があった。
「おい、お前いったいどこに行ってたんだ? 朝比奈さんも心配してたぞ」
 席に着きながら一応そう聞いてみると、
「部室で有希とご飯食べてたの」
 ……よく解らない返答が返ってきた。
 ちょっと待てよ、お前は朝比奈さんと俺と一緒に弁当を食べたいから学食についてきたんじ
ゃなかったのか?
 先に長門と約束してたんなら最初っからそう言えばいいのに。
「それはそうだけど……事情が変わったのよ」
 ふむ、さっぱり理解できん。
 不満げなハルヒの本意を理解するには、どうやら俺はまだ修行が足りないらしい。
 まあそんな無意味な修行をする気なんてさらさら無いが。
 いつもとは別の意味で挙動不審なハルヒ、そして俺には言えない秘密があるという朝比奈さ
ん、更には何故か深夜のコンビニに興味をもった長門。
 さて、これはいったい何の前触れなのかね?
 残る特殊な背景を持つ知り合いといえば古泉しか心当たりは無いのだが、
「おいキョン。ちょっと付き合え」
 俺にその答えを教えてくれたのは、意外な奴だった。





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